首里杜館では、琉球王国が東アジアの国々と交流した時代を経て築いた独自の食文化を味わうことができる。沖縄料理といえば豚肉を使ったものが多いが、これは冊封使使節団を歓待したことと無関係ではない。400人から600人とも言われた使節団だが、彼らが滞在する半年に渡って豚が提供されたと考えられる。それまで琉球では豚はほとんど食べられていなかったこともあり、国内では調達できなかった。隣の奄美から豚を緊急輸入してどうにかやりくりした後、王府は冊封使の来航に備えて各農村に対して豚の飼育を強制する。各地で飼育されることになった豚は冊封使だけでなく自分たちでも食べるようになり、今日に至る沖縄の豚肉料理が生まれたのだ。ちなみに、この豚のラードを用いてつくられた琉球菓子が、「ちんすこう」である。
他にも琉球菓子はたくさんある。ではなぜ、琉球独自のお菓子が生まれたのか?琉球王国の接待料理を任されていた包丁人たちは、冊封使団に同行してくる菓子職人たちや、自らが同行する中国への旅で中国菓子を学んだと考えられている。さらには薩摩侵攻以来、那覇には薩摩在番奉行所が置かれ、その接待も大事な仕事となる。包丁人たちは薩摩への訪問や江戸上りにも同行し、日本の菓子づくりも学んだ。彼らは中国および日本の菓子文化を取り入れながら、琉球の気候、風土にあった独自の菓子文化を築いていったのだ。
東アジアをつなぐ海。その真ん中に位置する琉球王国は、大国、中国と日本が、取り巻く世界情勢が激しく動いていた時代に、積極的に外に出て行くことで、たくましく生き延びた国だ。外交や交易によってあらゆる文化に触れ、それを積極的に取り入れるだけでなく自国のものへと昇華させたことで、食に文化に、世界でも独自のものが生まれていったのだろう。
さて、ショートコースのガイドはここまでだが、この先にはさらにディープな首里城と首里の街をめぐるコースがある。首里杜館でひとやすみしたら、ぜひロングコースにも挑戦してみてほしい。