ここにあったのは銭蔵と呼ばれる倉庫。ここで管理されていたのは、銭のほか琉球のお酒、泡盛だ。
その泡盛、琉球王国時代は首里王府の管理の元にあった。王府には製造された泡盛を管理する役所があり、納められた泡盛は「御用酒(ごようざけ)」としてこの銭蔵で厳重に保管され、正月の行事や、冊封使の接待など、特別な時に振る舞われた。臣下が手柄を立てた褒美として、与えていたこともあったと考えられている。今のように万人が口にできるものではなかったのだ。
ところで、泡盛は琉球では「さき」と呼ばれていた。単純に、さけ、という意味。これが泡盛と呼ばれるようになった経緯には諸説ある。ひとつは、かつては原料として米の他に「粟」が使われていたという説。もうひとつは、蒸留したての酒に「泡」が盛んに盛り上がることに由来するという説。アルコール度を測るときに、この「泡を盛らせてみる」ことが転じて「泡盛」となったというもの。
そしてもうひとつが、九州の焼酎と琉球の焼酎を区別するために、薩摩藩が名付けたとされる説。
蒸留の技術は、西アジアで発明されたといわれる。それがインドを経て、中国に伝わり、さらにはタイに南下した。琉球王国は東南アジア、とくにタイとの交易が盛んだったため、日本の本土よりも早くからその技術が伝わっていた。泡盛は、本土の焼酎よりも歴史が古く、また黒麹菌という特別な麹を使っている。特別な酒、として薩摩を通して江戸にも献上されていたのだ。