継世門を背に坂を下っていくと「瑞泉」という泡盛の蔵元がある。この辺りは、崎山という地区で、鳥堀、赤田とともに首里三箇と呼ばれている。いまでこそ沖縄各地で作られている泡盛だが、琉球王国の時代に首里王府から泡盛の製造を唯一許可されていたのが、この首里三箇だった。当時、首里三箇には30から40もの蔵元があったといわれている。石垣の縁が丸くなっていたら、そこは酒造所だった可能性が高い。これは筵を干しやすい形に丸めてあったのだ。
なぜ、泡盛は首里でつくられていたのだろうか。城の近くで造る方が管理しやすいということももちろんだが、首里が湧き水の豊富な地域だったことも理由のひとつだろう。
首里の町は、琉球石灰岩と呼ばれる珊瑚礁が隆起してできた地層の上に立っている。この地層は水を非常によく通すのだが、その下にある地層は粘土質で水を通さないため、ふたつの地層の境目から水が湧き出している。良質な酒造りには、良質な水が欠かせない。川の少ない沖縄では湧き水が生活を支えるものとして重宝された。井戸や湧き水は信仰の対象でもあり、今も大切に祀られていることが多い。