首里の道は高低差が大きく、くねくねしている。これは昔からの道路がそのまま残っているから。首里は琉球王国時代に、丘の上の首里城をぐるりと囲むように発展した城下町。ゆえに丘の形に沿って道が整備されたのだ。
路地裏は三叉路が多く、一層迷路のようになる。これは、魔物は直進すると考えていた昔の人たちが十字路を嫌ったからだともいわれている。三叉路にぶつかってきた魔物は石敢当という魔除けを置いて退治するらしい。近代になって県がまっすぐな道を整備しようとした際も、この龍譚池を囲む道路はあえて曲線がよいと地元住民たちが反対したという。
町を歩いていると緑が多いことにも気がつくだろう。琉球王国時代の木々は戦争によって失われたが、戦後、戻ってきた人たちが植えた。彼らは街を復興させるだけでなく、かつてそこにあった美意識も取り戻そうとした。戦火で破壊された琉球王国ゆかりの文化財の破片は、地域の人びとの手を借りながら集められ、首里に博物館がつくられた。それは現在の沖縄県立博物館・美術館の原型ともなっている。
首里の人たちは、沖縄の中でとくに誇り高き人たちだといわれている。16世紀前後、琉球王国は按司と呼ばれる地方の有力者たちを首里に集めることで、国家の安定を図っていた。そして按司たちが住む首里は町として発展していった。首里城を起点に幾つかの街道が各地に伸び、石垣と屋敷林で囲まれた寺院や屋敷が整然と立ち並ぶ城下町になっていった。17世紀後半、国王に仕える按司や臣下たちは士族の身分となった。かつての「士族の誇り」はいまも息づいていて、地元では首里にルーツを持つことを誇りに思い、住まいを持つことをステータスと考えている人も多いという。それは散策で見かける家々の風格からも感じ取れるはず。ぜひ、足の向くままに町歩きを楽しんでほしい。