琉球王国時代、ここにあったものとは?

ゆいレール首里駅の目の前には、那覇市立首里中学校がある。この首里中学校のグラウンド、琉球王国時代は、聞得大君御殿だったのだ。この辺りには、他にも王族の重要な屋敷跡や名を馳せた士族たちの生家がある。今は普通の民家になっている場所でも、町の人たちが整備した歴史案内の看板が出ていたりする。かつてここに何があったのか?と探しながら歩くのも、また楽しい。

また、現在の沖縄県立首里高等学校の地は、かつて世継ぎの王子が住む中城御殿(なかぐすくうどぅん)があり、首里王府の最高学府が設立された場所でもある。この学府は、のちに龍潭のほとりへ移転するとともに「国学」と称された。当時の国王は、国学の学生たちのために「海邦養秀」という直筆の扁額を授けたという。「海邦」とは海にかこまれた国。「養秀」とは優れた人材を育成するということ。優れた人材を育成することが国の発展につながるという思いが込められているのだ。この扁額は、復元されて今も首里高校の体育館に掲げられている。

廃藩置県後、国学の跡地には沖縄県師範学校が移転され、第二次大戦後は琉球大学が建てられ、そして現在は沖縄県立芸術大学がある。

首里は城下町であり、昔から文教の町でもあったのだ。

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