この道だけが古いままなのはなぜなのか?


答えは沖縄戦で、砲撃の死角となったから。

戦時中、空爆や艦砲射撃を浴びた首里の町は焼け野原となった。その中で奇跡的に砲撃を免れ、原型を留めることができたのが、この石畳。赤瓦の古い士族屋敷や御嶽も無事に残ったこともあり、まさに琉球王国の残り香を感じられる道となっている。

たとえば石畳の途中にある金城村屋。この建物は、国王一行が別宅の識名園に向かう際に、村人がお茶でもてなした休憩所だった。すぐ近くにある「金城大樋川」は、17世紀末に薩摩で紙漉(す)きの技術を習った琉球王国の役人が、帰国後この水を使って沖縄で初めて紙を漉いたとされる場所だ。

「内金城御嶽(うちかなぐすくうたき)」の看板を見つけたら、その先に進んでみよう。沖縄には、餅を食べて厄払いをする「鬼餅節(ムーチー)」と呼ばれる日があるが、ここにある御嶽は、このムーチー発祥の地ともいわれている。かつてここには一組の兄妹が住んでいて、鬼となって人喰いを始めてしまった兄を退治するために、妹が鉄の入った餅を食べさせて、崖から突き落としたという民話があるのだ。

御嶽の奥には樹齢200年とも300年ともいわれる大アカギがそびえ立っている。熱帯アジアやポリネシアにも生息する木で、沖縄でも普通に見られるが、首里の住宅地で戦争を生き延びた大きな老木が集まっているのはとても珍しい。ここは年に一度、大アカギに神様が降りてきて、人々の願いをかなえてくれるとの言い伝えがある。

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