それは私が、帝の更衣(こうい)としての役目を終え、この山科で穏やかな日々を送っていたころのこと。どこで私を見初めたのか、深草に住む少将から、幾度ともなく文が届くようになった。きっと、帝に愛されたという私の噂を聞いて、からかい半分で文をよこしてくる男の一人に過ぎないのでしょう。けれど、この深草少将(ふかくさのしょうしょう)だけは、なんだか様子が違っていた。困った私は、「この屋敷に百日間、一夜も欠かすことなく通いつめてくださったら、あなたの想うままになりましょう」と返事をした。そう言ったら、あきらめてくれると思ったから。

でも、少将は約束通りに、夜毎深草からこの屋敷まで通い始めた。百日目にならなければ私の顔さえ見られないというのに、健気なこと。訪れた証拠に、少将は榧(かや)の実をひとつ、門前に置いていく。ひとつ、ふたつ……やがてそれが十になり、二十になり、六十、七十と超えるころ、いつしか私は、少将の訪れを心待ちにしている自分に気づいてしまった。

百日目のその夜は大雪だった。少将は、現れなかった。やっぱり、私のことをからかっていたのね。雪の中を出掛けてくるほど、私を想ってはいなかったのでしょう。

……それが、後で聞いた話には、少将はその夜も、いつもと同じように出かけたというではありませんか。あの大雪の中を、たった一人で。雪の中で見つかった亡骸の手の中には、握りしめられた榧の実がひとつ。

ああ! 私はなんということをしてしまったのでしょう。あんなにも愛してくれた人の想いをはかるようなまねをして。ようやく、ようやく、心から愛する人と出会えたはずだったのに。

少将の残した九十九個の榧の実を、これから私はひとつひとつ、この小野の里にまきましょう。報われなかった二人の想いは、いつしか大木になって残るでしょう……

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