随心院は、牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)の子房(しぼう)、つまり僧侶が生活を送る場として造られた建造物です。もともとの曼荼羅寺は、弘法大師空海から数えて8代目の弟子にあたる仁海僧正(にんがいそうじょう)によって、西暦991年に開かれました。
さて、この仁海僧正。またの呼び名を「雨僧正」(あめのそうじょう)といいます。
真言宗の祖である弘法大師空海は、かつて神泉苑(しんせんえん)で雨乞いの修法(しゅほう)を行い、龍神を召喚して雨を降らせたといいます。それからというもの、日照りの年には真言宗の僧に雨乞いの勅命が下るようになりました。仁海僧正が勅命を受けたのは9回。なんとそのたびに、見事雨を降らすことに成功したのです。「雨僧正」という呼び名には、そんな僧正への尊敬と親しみが込められています。
そしてまた、小野小町にも、雨乞いの伝説が残っています。
その年は、どんな僧侶が祈祷を行ってもまったく雨が降りませんでした。困り果てた帝は、寵愛する小町に神泉苑で雨乞いの歌を詠ませたのです。
ちはやぶる 神もみまさば 立ち騒ぎ
天の戸川(あまのとがわ)の 樋口あけたまへ
「神さま、この日照りをご覧になっているのでしょう? それならお騒ぎになって、天の川の水門の口を開けて下さいませ」
すると、みるみるうちに空は雨雲に覆われ、天の川をこぼしたように雨が降ってきたのです。この和歌は『小町集』に記録されていますが、小町の死後、後世の人が書き加えた創作であると言われています。