小町のもとには、数え切れない程の恋文が次々に届きました。つれない小町のことです。そんな恋文は燃やしてしまっても、ぞんざいに捨ててしまってもいいはずなのに、小町はそうしませんでした。男たちの情念のこもった手紙を、小町は仏像の内側に張りつけて供養しようとしたのです。それが「文張地蔵」です。

小町は、「美人であることを鼻に掛け、男たちをあしらう冷たい女」としてよく描かれます。しかし実は、情に熱い女性だったのかもしれません。彼女の機転と、その情を感じさせる伝説が残っています。

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宮中で和歌を競い合う歌合(うたあわせ)は、歌人にとっては実力を披露できる重要な機会でした。次の歌合で、小町の相手となるのは大伴黒主(おおとものくろぬし)。後に、小町と並んで「六歌仙」(ろっかせん)の一人に選ばれることになる歌人です。なんとしても小町に勝ちたい黒主は、歌合の前日、こっそり小町の家に忍び込みました。すると、和歌を詠む小町の澄んだ声が聞こえてきました。

蒔(ま)かなくに 何を種とて 浮草の
波のうねうね 生い茂るらん

「誰もまいてなんていないのに、浮草は何を種として、波にうねうねと生い茂っているのかしら」

これはしめたと、歌を書き留めた大伴黒主。そして、いよいよ歌合当日を迎えました。何も知らない小町は、浮草の歌を披露します。帝も、同席した歌人らも、彼女の歌を絶賛しました。「ちょっとお待ちを」と声を上げたのは大伴黒主です。

「その歌は、古くからある歌にございましょう」
「そんなはずはないわ!」とうろたえる小町。すると黒主はニヤリと笑い、「それならば証拠をお見せします」と、万葉集を取り出しました。
「どうです。とうに万葉集に記されているじゃありませんか」
青ざめる小町。みな、疑いの目で小町をちらちらと見ています。差し出された万葉集を凝視していた小町は、ハッとあることに気づきました。

「あの……この部分だけ、筆跡も墨の感じも違う気がします」
そこまで言うなら確かめるべきだと、水が運ばれてきました。小町が万葉集の草子を水で洗ってみると、浮草の歌だけがするり溶けて、一文字も残らずかき消えてしまいました。小町の読みの通り、大伴黒主が後から書き入れたものだったのです。

悪巧みがばれてしまった大伴黒主。自害しようとするのを止めたのは、他ならぬ小町でした。「歌合に勝って自分の名を残したいという思いは、和歌の道を志す者になら誰にでもあるものです。どうかお許し差し上げていただけないでしょうか」と帝に取りなしたのでした。小町に免じて、黒主の罪を許した帝。ホッとした小町は、このめでたい席に興を添えようと、祝福の舞を舞い始めたのです。

この物語は『草子洗小町』(そうしあらいこまち)という能として演じられています。これもまた史実ではなく、後世の創作だと言われています。

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