門をくぐり庭をぬけ、階段を上がると、そこに壮厳堂(しょうごんどう)があります。まずは、入ってみましょう。

トンネルのような入り口の先には「○」の形があります。これは「エンソウ」と呼ばれるもので禅の最終目標といわれます。禅宗を端的に言えば「まるさんかくしかく」とあらわされることがあります。四角はいまの私たちの心で、カドがあります。修行のため座禅をするその姿が三角の形をし、そうして修行していくと最終的に欠けることなく途切れることもなく丸になっていくといいます。このエンソウは、白隠というお坊さんが書いたものです。

彼は江戸時代に生きた禅の和尚さん。禅宗の一つである臨済宗中興の祖で、500年にひとりの逸材と称えられるほどの高僧でした。
ここ神勝寺には、その白隠禅師の作品が200点以上あります。その一部を、展示を変えながら、生で見てもらえるギャラリーになっています。

今日展示されているかはわかりませんが、例えば、よく知られているのは達磨大師の絵。達磨大師とはだるまさんのもとになったお坊さんで、禅宗を作ったインドのお坊さんです。白隠禅師は達磨をよく描きました。当時の日本でも達磨は有名だったので、一般の人たちに布教するために描いたといわれています。

というのも、白隠禅師にはこんな過去があるそうです。字がきれいだったら人が集まってくるとの思いで字を練習してうまくなりました。それなのに、自分より字がうまくない人へ人が集まる。なんでだ?と考えます。そこから、字がきれいなだけでなく、本当は中身が大切なんだと気づいたそうです。だからこそ、字もきれいなのですが、よりわかりやすく中身を伝えるために絵をつかって禅の教えを伝えるものがたくさんあります。


部屋の最奥に行くと「荘厳堂」と書かれた字があります。「荘厳」の本来の意味は仏像が安置されている部屋を、きらびやかに飾るということです。しかし、白隠禅師は自分の内面を磨き内面を光らせることで、自分だけじゃなくまわりの人のために何かができるような人になってほしいという意味をこめ、この言葉を使っていました。この荘厳堂の中にはいって、自分の心を見つめ直し、そして部屋を出るころには困っている人にも気づいて何かができるような人になってほしい。この名前にはそんな意味が込められています。

時期によって展示が変わるので、あらゆる作品に触れ、白隠禅師とはどんな人なんだろうと、興味をもってもらえたらうれしいと思います。あなたにはどんな人に見えるでしょうか。

ここに勤めて長い女性は、こんな話をしてくれました。

「わたし、字に興味があるのですごいなぁと思って文字ばかり見てました。さらさらっと書いていても味があるし、ずっと眺められるんです。その一方で、なかなか字が読めない人も多かったので絵をたくさん描いていて、その絵の中では言葉も書いてあるんです。それもひらがなが多く使われていて。きっと、寺子屋でわかりやすく伝えるためにそうしたのではないかと思うんです。お坊さんの絵なので絵が上手とか下手で勝負しているんじゃなくて、いかに多くの人にわかりやすく伝えるか、ということを考えていたのがとってもよくわかります。獅子も、怖くなくてかわいい獅子が描かれています。絵をじっと、よく見ていると、やさしい表情や愛嬌のある表情が多くて、きっと白隠禅師が伝える教えは、堅苦しいものではなくて、やわらかい親しみやすいものだったんじゃないかと思って親近感が湧くんですよ。」

フラッシュをオフにしていただければ、撮影をしていただいてもよいので、心に留まった絵をひとつ、写真で持ち帰ってその意味をゆっくりと考えてみてはいかがでしょう。

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