この沢はもともと「竹裏渓」と呼ばれていました。孟宗竹の生える林の裏にあったからです。弁慶橋は通称「赤橋」とも言われます。ここでは2003年より、地元文京区の小学生と共に「蛍の幼虫放流式」を開いています。蛍が飛び交う5月の下旬には、生徒と保護者の皆様をご招待し、放流した蛍が成虫となって庭園を飛び交う姿をお楽しみいただいています。

「ほうほう、ほたるこい、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」

有名なこの童歌は、江戸時代から螢狩(ほたるがり)の時に唄われ続けてきたものです。螢狩は、江戸の人々の夏の風物詩でした。提灯をぶら下げて川に出掛け、団扇で蛍を招き寄せたり、飛び回る蛍を捕らえようと走り回ったりしていたといいます。今では信じられないかもしれませんが、この東京でも昭和30年代頃まではごく普通に蛍が見られたのです。そんな幻想的な光景は時を超え、毎年5月中旬からこの椿山荘庭園でよみがえります。

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