滝の水しぶきからはマイナスイオンが出る、とも言われますね。暑い夏の盛り、滝の近くに立つだけで涼しさが感じられます。

意外に思われるかもしれませんが、江戸時代には「海水浴」の習慣はありませんでした。この頃の人々にとって、夏の楽しみは海水浴ではなく、滝浴みだったのです。滝を眺めるだけではなく、滝に打たれて涼を取ったりもしました。

江戸は、海を埋め立てて開発された町です。井戸を掘っても海水が混ざってしまい、飲料水を確保するのが難しい場所でした。徳川家康は、家臣の大久保藤五郎に上水道を調査させました。異説はありますが、藤五郎は調査の結果、豊富な水量と優れた水質を持つ吉祥寺・井の頭池の湧き水を、江戸の町の水源に選んだと言われています。そして、現在の冠木門左手の大滝橋の近くに堰(せき)を作り、上水路を整備しました。これが日本初の都市水道「神田上水」です。この堰は「関口大洗堰」(せきぐちおおあらいせき)と呼ばれました。

堰の上から水の流れが大きな音を立てて江戸川に落ち、白い泡を立てる様子は、まさに大滝のよう。人工の滝ではありましたが、多くの人々が涼を求めて集まったといいます。明治時代以降も、舟場や茶屋が設けられ、憩いの場として大いに賑わい続けました。

同じく人工の滝であるこの五丈滝の水流も、関口大洗堰と同様に私たちの心をすがすがしく洗い流してくれることでしょう。

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