三重塔は、もともとは広島県賀茂郡の篁山竹林寺(たかむらさん ちくりんじ)に建てられていたもので、国の登録有形文化財に指定されています。強風により大破した状態であったところに目を止めて移築を決めたのが、山縣有朋公から庭園を譲り受けた藤田組2代目当主・藤田平太郎男爵でした。その建築様式から、室町時代末期に建てられたものだと考えられていましたが、平成22年(2010年)の大改修により、それよりももっと古い1420年頃、つまり室町時代前期の部材が使われていることが明らかになりました。ただし、最初の改修をしたのが平清盛であるという言い伝えも残っており、いつ造られたのかははっきりとわかっていません。本尊の「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」は、平成の大改修の際に奉安され、このときに塔は「圓通閣(えんつうかく)」と名付けられました。
庭園の一番高いところまで登ってきましたね。ちょっと腰を降ろして休憩しましょうか。
かつて椿山荘のお隣りには、江戸の人々の参拝が途絶えなかった「目白不動尊」がありました。その境内には、時刻を知らせる「時の鐘」と呼ばれた江戸幕府公認の鐘がありました。現代を生きる私たちにとって、一時間と言えば、夏も冬も変わらず60分間を指しますね。しかし、江戸時代の時の長さは、季節によって変化していました。日の出の時間と日の入の時間を基準に時を割り振る、いわば究極のサマータイム制度が取り入れられていたのです。お日様のリズムと生活のリズムを一致させる。それは、私たちが忘れてきてしまった、心地良い生き方であったのかもしれません。