古香井(ここうせい)は、秩父山系からの地下水が湧き出る井戸です。ミネラルやカルシウムを豊富に含んだ弱アルカリ性の水は、古くから東京の名水に数えられてきました。大正12年(1923年)の東京大震災の時には、水を求める被災者に開放されたと言い伝えられています。
さて、ぐるりと庭園をめぐり、この場所の水の豊かさを感じられたかと思います。山縣有朋公は、滝や流れを中心とする「水景」の扱いに強いこだわりを持っていました。庭園といえば、「役石(やくいし)」と呼ばれる飛び石や沓(くつ)脱ぎ石を置き、石の組み方や配置で世界観を作り出すのが常識とされてきました。しかし山縣公は、周囲のアドバイスは聞き入れず、役石を置かずに水の流れによって庭園を構成したのです。
庭園の水源のひとつは、隣接する元土佐藩士・田中光顕(たなかみつあき)伯爵の邸宅から湧き出る湧水でした。山縣公はこの水源を庭園の生命線と考え、田中伯爵と幾度も交渉を重ねて「田中邸の湧水は永久的に椿山荘のものであって水源は決して封鎖しない」という堅い契約を結ぶまでに至ったと言います。
山縣公はなぜここまで、水景にこだわりを持っていたのでしょうか?