フジタはこの壁画を描く際、「この絵を見れば秋田の全貌がわかるようにしたい」という思いを持っていた。人々の生活の様子や文化、風習、秋田の産業や歴史にも触れたい。その思いがあらわれているのが、画面の中ほどに描かれている木の橋だ。欄干に「香爐木橋」と刻まれたこの橋を訪れたフジタは、「太古の音がする」と喜んだという。壁画においてはこの橋を境に、向かって右側には秋田のお祭りの風景が、左側には日常の風景が描かれるなど、絵の構図としても重要な役割を持たせている。

この香爐木橋、現在も秋田に残っている。このあたりには奈良時代に役所があったと言われている。香爐木橋の「こうろぎ」は「清らかな木=きよらぎ」という意味という意味があると言われており、同じくこのあたりに残る秋田最古の神社・古四王神社に行く前に身を清めた場所と考えられている。また、香爐木はお香などにも使われる木材=香木である「伽羅」の異名ともいわれる。

江戸時代の紀行家・菅江真澄はこう書き残している。
「浪速の船乗りがこの橋の上で火縄を振っていると、橋板を焦がした。たいそう良い香りがしたので、香木であると思い、船乗りが代わりの橋を架けることを条件に古い橋板をもらって帰り、それを売り払って多額の金を得た。」

フジタが見学した香爐木橋はまだ木造だったという。現在は石橋に作り変えられているが、絵の中の香爐木橋の向こうには、古代の城が置かれたという丘のイメージが広がる。いまではひっそりと静まり返ったこの高台に、かつては城があり、たくさんの人が往来したのだ。フジタがこの地で感じたという「太古の音」と、悠久の時の流れを感じてみてほしい。

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