フジタの描いた壁画には、犬が6匹描かれている。香爐木橋の前に堂々と立つのは、平野政吉の愛犬であった土佐犬の「錦風」。首輪に名前が刻印されているのが見える。その後ろ、雪室の上で吠えあっているうちの白いほうが、やはり平野が飼っていた秋田犬のシロだ。

秋田犬はもともと闘犬や番犬として、また狩猟が盛んだったころは山間部で狩猟を行う「マタギ」の猟犬として飼われていた。当初は「大館犬」と呼ばれていたが、1931年に国の天然記念物に登録される際、広くその名知られるようにと県名をとって「秋田犬」と命名された。

三角の耳、くるんと巻いた尻尾、鼻は黒く、緻密な毛なみに加え、忠犬ハチ公に代表されるように、忠誠心が厚く従順で命令に素直に従うことから、一度飼うと病みつきになる愛犬家も多い。現在では英語で「AKITA」といえば秋田犬のことを指すほど、世界中にファンを持つ秋田犬。2018年、ロシアのスケート選手アリーナ・ザギトワに日露友好の証として秋田犬のマサルが贈られたこともその人気に拍車をかけた。

しかし、秋田犬の血統はこれまで順風満帆に保たれてきたわけではない。第二次世界大戦末期の1944年、犬猫を国に納める運動があった。特に大型犬たる秋田犬はその毛皮を防寒具に、肉は食用にするために回収されたのだ。「人間ですら満足に食べられないのに、犬を飼うとは非国民である」と言われた時代。しかし、大館の人々は、山の中の炭焼き小屋に十数匹の秋田犬をかくまって育てた。これがなければ秋田犬の血統は途絶えていたという。

秋田犬は、日本で初めて生き物として国の天然記念物に指定された。その理由は「日本民族の由来を究明するのに重要な意味がある」とされたことにあるという。つまり、人と犬が、これほどまでに心を通わせる関係性を築いてきた歴史が、オオカミに近い外見を持った秋田犬の姿形に刻まれているとされたのだ。

秋田市にある「秋田犬ステーション」では、実際に秋田犬に会うことができる。実はここには保護された秋田犬もいる。飼育放棄されたり殺処分になりかけたりした秋田犬をトレーニングし、里親につなげるための一環として活用されている施設だ。秋田犬をきっかけにペットをとりまく実情を知ってもらい、「なくしていい命はない」というメッセージを発信し続けている。

※秋田犬は大館市の「秋田犬会館」や「秋田犬の里」、男鹿市の「道の駅おが なまはげの里 オガーレ」でもふれあうことができる。

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