壁画の左側に描かれているのは、町を行き交う人たちの日常の生活である。野菜を馬に背負わせて運ぶ人、子どもを背負う母親、ベビーカーのように箱ぞりに入れられて運ばれる赤ん坊……。人々の声や息づかいまで聴こえてきそうな生き生きとした筆致である。フジタが秋田を取材した1936年当時、秋田市内を走る自動車の数はまだ少なく、庶民の冬の暮らしの足はそりが中心だった。左端の米俵を乗せた馬でそりを引く男性は、平野家の小作人がモデルだという。

この中に、正月用のシャケや花を背負う女性が見える。シャケは新年に神様を迎える準備として、大晦日に準備するごちそうのひとつ。日本の食文化のひとつに「東のシャケ、西のブリ」と言われるように、塩ジャケが秋田では好んで食べられていた。今のように冷蔵の技術が発達していなかった当時、生魚を商うことは危険とされていた。塩ジャケは正月の期間を食べつなぐ冬の保存食の意味合いもあったことだろう。

秋田県民は塩ジャケを「ぼだっこ」と呼び、現在でも塩辛いサケを好んで食べる。塩焼きにしてご飯に乗せたり、おにぎりの具として食べたり。今でも日常的に食べられる。かなりしょっぱいので、一切れが小さめになるよう独特な切り方がなされる。

今でも年の瀬になると、秋田市民市場は「ぼだっこ」を求める人々でにぎわう。秋田県内のスーパーならどこでも「ぼだっこ」は販売されているが、年末年始など家族が集まる特別な日には、「市民市場のぼだっこでないと」と言う人も少なくない。

Next Contents

Select language