雪室の後ろにはかつての商家が描かれている。気になるのは、屋根の上に組まれた足場のようなものと、甕らしきもの。これは防火のために備え付けられた「天水甕」と呼ばれるものだ。天水甕は秋田の商家に多く見られる特徴のひとつで、他の地域ではあまり見ることができない。このあたりの商家の屋根は木材の板でふいたものが多く、火が燃え移りやすかった。そのため、火事の知らせがあると使用人が屋根の上にのぼり、ほうきで天水甕の水を散らして火事を防いだという。
旧金子家住宅では、今でもこの天水甕を見ることができる。金子家は江戸時代に質屋を開き、明治以降、呉服や綿織物・麻織物の卸しを商売としていた。金子家には6つの天水甕があった。また、当時、これほど大きな甕を制作している窯はなかったことから、北前船で島根県から取り寄せたものではないかという説もある。
旧金子家住宅には1886年にこのあたりで起きた大火事にも焼けずに残った黒漆喰の貴重な内蔵のほか、道路側には「こみせ」と呼ばれる雪国独特の土間があり、隣接する店につながる、現代でいうアーケードのような役割をもたせている。また、欄間には「子を守る」とか「幸(こう)を守る」とされ、幸運のしるしとされたコウモリが彫られていたりする。建築的にも見て楽しい建物だ。
果たしてこの天水甕で本当に火が防げたかどうか……。今となっては知る由もないが、当時の秋田の町人の暮らしぶりに思いを馳せてはどうだろう。