壁画の左側、雪だるまの後ろあたりに2本の木製の塔のようなものが見える。これは油井の櫓と呼ばれるもの。今では秋田でも知らない人が多くなったが、かつて秋田県は全国屈指の石油産出県だった。

八橋地区では、草生津川沿いに4社もの石油会社がこぞって櫓を建設した。「草生津」の由来は「臭い水」と書いて「臭水(くそうず)」。石油のことを古い日本語ではそう呼んでいた。古くからこの川の表面には石油が漂っていたようだ。

フジタが秋田を訪れた1936年当時、八橋地区には百数十基の櫓が林立していた。その産出量は多く、1935年には全国の石油の40%以上を、1959年には全国の70%近くの石油を秋田県が生産していたと言われる。石油は当時も一大産業。一説には繁華街・川反の栄華はこの石油のもたらしたものではとも言われているほどだ。

残念ながら秋田の石油産油量はその後ぐっと減少。現在は産業になるほどの量は採れなくなった。それでも、秋田市内には現在も石油を採るためのポンピングユニットが残っている。

絵の中ではさりげなく描かれた櫓も、紐解けば秋田の栄枯盛衰の物語が隠されているのだ。

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