この森の木々が何の木かわかるだろうか。足元に落ちている木の実を探してみてほしい。

ドングリ、クルミ、クリ。縄文人はこの森で見られるような木の実を食べていた。縄文人の人骨は虫歯が多いのだが、もしかすると、縄文土器の発明によって木の実のアク抜きを覚え、大量の炭水化物=糖質を摂るようになったせいかもしれない。そうでなくても縄文時代の遺跡は争いの痕跡が少ないことで知られている。きっと争う必要がないほど森の食料が豊富だったのだろう。

さて、伊勢堂岱遺跡はあなたの想像以上に大きい。この森のずっと南の奥のほうまで、約20万平方メートル、つまり、東京ドーム4個分の広さがぜんぶ遺跡である。しかし、ストーンサークルはこの先の「とある空間」でしか見つかっていない。その場所でなければならない理由があったように思われるが、なぜだろう?

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