──縄文時代を想像することの難しさのひとつに、現代の価値観からいかにして逃れられるかという点があると思います。たとえば、伊勢堂岱遺跡や大湯環状列石のまわりに住んでいた縄文人は北海道に住んでいた人たちと交易をして「アオトラ石」という頑丈な石をもらっていたようです。でも、その代わりに何かを交換していたのかといえば、よくわからない。少なくとも北海道のほうで何か、こちらの物が見つかっているわけではないんです。もちろん、動物の皮のような土に溶けてしまうものと交換していたから残っていないんだ、と考えるのが普通かもしれません。でも、その前に「そもそも物々交換をしていたのか?」というところから疑わなくてはいけないと思うんです。私たちは貨幣経済による等価交換の世界に生きていますが、縄文人は全く違う価値観の中で生きていたはずです。たとえば、物をあげること自体が尊いという価値観で、そうすることによって死んだあとに生まれ変わる。そう考えていたかもしれないんです。その意味で、考古学を旅することはおもしろい。考古学を通して、現代の自分の価値観がゆさぶられる。世界の裏側の異なる国の価値観にふれること以上に価値観がゆるがされる、そんな時空の旅に出ることができると思うんです。
それでは、縄文時代よりもっと昔に遡ってみましょう。約700万年前、アフリカで生まれた人類は「自然」の中にいました。そのままであれば他の動物と変わらないのですが、約250万年前に人類は「道具」を発明しました。最初の道具は石を割って刃物にしただけかもしれませんが、次第に道具はなくてはならない存在になっていきます。たとえば、何人かの研究者は人類最大の発明は「針」だと考えています。というのも、人類は8万年ぐらい前にアフリカの外に出て西アジアなどに進出していきます。しかし、スマトラの火山が大噴火して寒冷化がはじまると、再びアフリカに戻ってしまうんです。でも、5万年前にリベンジを果たします。その時代もまた氷河期で寒かったことに変わりはないのですが、どうしたわけか、ヨーロッパへ、シベリアへと、一気に進出していくんです。なぜ、そんなことが可能だったのか。「針」を発明していたからです。針の発明によって服を縫って防寒ができるようになっていた。ほかの動物ではありえません。もっとたくさんの時間をかけて肉体を進化させていく必要があるからです。でも、人間は道具の発明と改良によって驚くべき短期間で地球上を制覇した。もっといえば、1万3000年前にベーリング海峡を渡ってアメリカのほうに行き、わずか1000年で北米から南米の端っこまで縦断した。ふつうの動物は環境の似通った東西に広がっていきますが、人類は環境が大きく異なる南北に広がっていったのです。それを可能にしたのが新たな道具の発明と改良でした。
そうして、「自然と人間と道具」の三者のバランスの中で進化を遂げた人類ですが、はじめは6属19種ぐらいいました。でも、わたしたちホモサピエンスを除く6属18種は全滅した。では、わたしたちホモサピエンスとの違いは何だったのか。道具を発明すること自体はみんなやっていたのですが、その道具を「改良」することができなかった。たとえば、現在でもチンパンジーは道具を使います。でも、改良することはできません。一方でわたしたちは今日も当然のように道具の改良に努めています。それも、世代を超えて改良をつないでいるんです。その能力こそがホモサピエンスの特異点だったのではないでしょうか。
一方で、現在は「自然と人間と道具」の三者のバランスが崩れはじめています。さまざまな環境問題をはじめ、バランスを見つめ直すときが来たのかもしれません。そうしたことを考えることができる学問が考古学。つまり、「自然と人間と道具」の向き合い方を、有史をこえた人類700万年の歴史を通して見つめ直すことができるんです。考古学だからといって過去だけを見るのではなく、現代にフィードバックして照らし合わせること。そうして、歪みや偏りに気づくこと。現在のわたしたちが迫られている選択肢のヒントが考古学の中にあったりするんです。コロナ禍を機にペストやスペイン風邪を見直した人も多いと思いますが、そうしたことをもっと大きなスケールで大局を見据えることができる。そのための材料として遺跡があり、遺物があるのだと思うのです──