ここは丸ではなく四角を形取るように石が置かれている。夏至の日の一本線に連なる位置にあるといえなくもないが、その理由も何もわかっていない。
ところで、縄文人はなぜこの場所にストーンサークルを作ったのだろうか。不思議なことに、ストーンサークルを作るより前の時代に人が生活していた痕跡はほとんど見られない。残っていた痕跡といえば狩りに使った落とし穴だけだった。ここが狩場であったとするならば、どうしてそんな場所を選んだのか。
これにはあえてどの集落のテリトリーでもない中立地帯を選んだからだという説がある。中立地帯を選んだからこそフラットな立場で、たくさんの集落の共同事業としてストーンサークルを作ることができた。とすれば、これだけ大きな規模のストーンサークルを作ることができた理由のひとつになるのかもしれない。
はたまた、この場所からはいろんな伝説が残るピラミッド型の黒又山が見える。そのことに意味があったのかもしれない。はたして、この場所が選ばれたのにはどんな理由があったのだろうか。