「なまはげ館」を訪れると、きっとあなたは驚くだろう。「え? これもナマハゲなの?」そんなふうに思うはずだ。

なまはげ館には、60地区150枚を超えるナマハゲの面が展示されている。このうち約30枚は、現在でも現役で使われているものだ。なまはげ館にある最も古い面は約300年前のものらしい。ナマハゲが初めて文献に登場するのは、1811年の江戸時代のことだが、古い面が残っていることから、それよりも前からナマハゲは存在していたことが考えられる。

面の材質は様々だ。杉やケヤキで作られたもの。ザルを土台にしているもの。トタンやベニヤを使ったもの。新しいものには、紙粘土やプラスチックを使ったものまである。

現在では、彫り師が作った木彫りの面を使う地区が増えてきているようだが、もともとはそれぞれの地区の住民たちが自分たちの手で面を作っていた。そんな素朴な面を見た芸術家の岡本太郎は「こいつはいい。無邪気で、おおらかで、神秘的だ。しかも濃い生活の匂いがする」と、雑誌『芸術新潮』の連載で記している。

私たちが想像する、赤鬼と青鬼のような面ばかりがナマハゲではない。なぜ、こんなにもたくさんのバリエーションが生まれたのだろうか?

男鹿半島で生まれ育った人でも、なまはげ館で面を見ると驚くという。自分の知っている地区のナマハゲと、まったく別の姿をしたものが多くあるからだ。ナマハゲは年に一度、大晦日の晩にしか現れないものだった。同じ日に、半島一帯で一斉にナマハゲ行事が行われていたため、メディアが発達するまでは、自分の地区以外のナマハゲを目にすることはなかったのだ。

それぞれの面を見比べてみよう。鬼のように角を生やした面が多いが、なかには角の無いナマハゲもいる。それから、どことなく西洋人のような顔つきをしたナマハゲもいる。

「ナマハゲ」と呼んできたが、過去には呼び方も地区によって違っていたようだ。ナマゲ、ナマバケ、ナマハギ、ナマミハギ、ナガメ、ナムミョウハギなど……面と同じ様に豊富なバリエーションがある。寒い季節、囲炉裏のそばで長いこと暖をとっていると、低温火傷のようになって肌に火斑(ひだこ)と呼ばれるものができる。これを男鹿半島の人々は、「ナモミ」とか「ナガメ」「ナモミョウ」などと呼んだ。そしてそれを、温まってばかりで働かない怠け者の証とした。そんな「ナモミ」を出刃包丁で剥ぎ取り、人間の怠け心を懲らしめてくれるのが「ナモミハギ」であり、どうやらそれがナマハゲの語源となっているようだ。

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