ナマハゲは「鬼」なのだろうか? 確かに、なまはげ館に収められている面には、角やキバの生えているものが多い。しかし、真山地区のナマハゲには角がない。真山では、ナマハゲを山の神の使者であると考えているからだ。

寒風山回転展望台からは、真山と本山が並んでいる姿がよく見える。日本の農山村地域では、今でも山の神や田の神への信仰が息づいている。いつでもすぐそこに見上げられる山を「お山」と呼び、手を合わせる。田に豊穣をもたらす神は山から里へと降り、収穫が終わるとまた山へと帰っていく。かつて人々は共同で田植えをしていた。田植えが終わったことを祝う宴を早苗饗(さなぶり)と呼ぶ。そんな豊穣を祈る宴の中で、人々は仮面を被って仮装をし、人間を超えた神のようなものを自らの体に宿す、そんな芸能を生み出したのかもしれない。

現在ではナマハゲ行事は大晦日の晩に行われているが、かつては小正月の晩に行われるものだった。新年の最初の満月の夜に、神の力を宿した者を迎えてもてなし、その年の実り豊かな豊穣を先取りして祝う。仮面をつけた来訪神が登場する祭りは日本全国に存在しており、やわらかなほほ笑みをたたえた仮面の神様を迎える地域もある。しかし、日本海に突き出た荒々しい環境の男鹿半島では、豊穣豊漁のためには、家族全員が力を合わせることが必要だったのだろう。家族が一体となるためには、神様は優しくほほ笑んでいるよりも、迫力ある姿で戒めてくれたほうがいい。そんな迫力を出すために、鬼のような角やキバがつけられたのかもしれない。

ナマハゲは「子どもを脅かすもの」というイメージがあるかもしれないが、ターゲットになるのは子どもだけではない。嫁いできたばかりの女性など、新しく家族の一員となった者をナマハゲは戒める。男鹿半島では冬の間、稼ぎ頭の男性は北海道へ出稼ぎに行くことが多かった。一家の主が不在となる正月。大人として認められたばかりの独身男性がナマハゲを演じ、家を守る祖父がそれを迎えてもてなす。留守の父親の代わりに、ナマハゲが家族を戒める。恐ろしいナマハゲに臆することなく、家族を守る祖父を子どもたちは尊敬する。ナマハゲは、新しい家族の一員に訓戒を与えるだけでなく、家を守る者への戒めともなっているのだ。さらに、ナマハゲを演じる青年も、自らの口から出る訓戒の言葉に自分自身を省みる。ナマハゲが家族やその地域の人々を繋いできたのだ。

ナマハゲには異なるいくつもの伝説があるが、共通しているのは「お山からやってくる」ということだ。そして、「いつもお山から見ているぞ!」と言って去って行く。「手を三つ叩けばいつでもナマハゲを呼べる」とする地区もある。見上げればそこにあるお山に、人間を超えた存在がいつもいて人の心を戒めている。厳しくも温かな目が、男鹿の人々をいつでも見守っているのだ。

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