ナマハゲは、その地区の独身男性が扮するものだった。ナマハゲになることを許されたとき、青年たちは自分が大人となったことを実感した。しかし現在では、そんな若い独身男性は、進学や就職のために男鹿を離れてしまっている。そのため、既婚男性や帰省中の親族など、地区外の者がナマハゲ役を務める例が見られるようになってきた。70代の高齢者がナマハゲに扮している地区もある。ナマハゲをやってみたい観光客を受け入れている地区もある。

ナマハゲを迎える家庭の事情も変わった。もてなす用意ができないからと、ナマハゲの立ち寄りを断る家も増えてきた。生まれてくる子どもたちの数も減った。子どもがいない家ばかりになったからと、ナマハゲ行事をやめた地区もある。

この先、ナマハゲはどこへ向かうのだろうか? 時代の変化とともに、過去の伝統となってしまうのだろうか?

「大晦日だけにしか現れないナマハゲを、もっと多くの人に知って欲しい」

そんな想いから始まったものの一つに、なまはげ太鼓がある。その始まりとなった「なまはげ太鼓伝承会」は、1987年(昭和62年)に発足された。なまはげ太鼓を引き継ぐ団体の一つ「恩荷(おんが)」のメンバーは全員、男鹿出身の10代から30代の若者たちだ。北は北海道から南は西表島まで遠征をし、台湾やスロベニアなど海外でも公演を重ねている。エンターテインメントとしてのなまはげ太鼓は、ナマハゲ行事の持つ本来の意味をそのまま伝えることは難しいかもしれない。しかし、見る者の胸を打つその公演は、新たな世代にナマハゲの魅力を伝えていくだろう。

近年になって、20数年ぶりにナマハゲ行事を復活させた地区もある。事前のアンケートでは「玄関先だけなら」と答えていた人も、久しぶりにナマハゲが訪れたら懐かしくなり「上がってげ、上がってげ」と歓迎をした。2018年にユネスコ無形文化遺産に登録されたことも行事を見直すきっかけとなり、2019年の大晦日には、92の地区でナマハゲ行事が行われた。

ナマハゲ行事を続けるには、ナマハゲに扮する人がいるだけではなく、迎える側の意識が大切だ。ナマハゲとは何者で、どこからやって来たのか? そのルーツを探ると、男鹿半島で生きてきた人々の強い絆が見えてくる。そうして生きて来た人々の誇りが、ナマハゲを次の時代へと繋いでいくのだ。

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