八方の雄大な眺望を楽しめることから、昭和27年(1952年)に故高松宮殿下によって「八望台」と命名された。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、ここから一ノ目潟や二ノ目潟、戸賀湾を望んで図絵を残している。その眺めは今も変わらない。
一ノ目潟は、二ノ目潟、三ノ目潟とともに男鹿目潟火山群(おがめがたかざんぐん)を構成し、東北地方では唯一のマール(爆裂火口)として知られている。淡水湖で男鹿市の水源にもなっている。地下深い所から噴き出た岩石「カンラン岩」が見られる火山として、また湖底堆積物の層が縞状になる「年縞」が確認される湖として、世界的に注目されており、天然記念物にも指定されている。