あなたはこの鈴の音をどのように感じただろうか? 涼しい音? 凛々しい音? 穏やかな音? この鈴の音を心にとどめておくと、清らかな時間を過ごせるかもしれない。

箱根神社の神主さんが、お祭りや祭礼で御祈願する時に鳴らすこの鈴の音は、特別だ。

お賽銭箱の真上にある大きな鈴と違って、小さな鈴がたくさんついている。この鈴は京都の職人がひとつひとつ手作りしたもので、ふたつとして同じ音色のものはないそうだ。

この爽やかで耳ざわりのいい鈴の音には霊力が宿り、鈴を鳴らす神主さん、そして参拝者を清める効果があるという。

古い鈴から新しい鈴に代えるのは、だいたい10年に一度ほど。たいへん高価なものだから、神職さんたちは数種の鈴を何度も鳴らし、音で選ぶ。

箱根神社の歴史は古く、奈良時代の757年、修行僧の万巻上人(まんがんしょうにん)が、今の場所に創建した。箱根神社ができたことで門前町が生まれ、しだいに発展。鎌倉幕府を作った源頼朝もこの神社に足しげく通っていたが、その理由はあまり知られていない。

平安時代から始まった、源氏と平氏の権力争い。当初は平氏が優勢で、頼朝は子どもの頃、現在の伊豆に流された。それから20年間、伊豆で静かに暮らしていたのだが、月に一度、伊豆の三嶋大社、熱海の伊豆山神社、そして箱根神社にお参りに行くことは許されていた。

当時の箱根神社は「箱根権現」と称し、その別当は頼朝の祖父、父と京都で親しくしていたそうで、頼朝にとっても頼りになる存在。1180年、ほかの源氏とともに平家打倒に立ち上がった頼朝は、現在の小田原にある石橋山の戦いで敗れたが、箱根神社に逃げ込んで、追跡から逃れた。そのままほとぼりが冷めるまで隠れ、その後に真鶴半島から船で房総半島にわたって、再び平氏に立ち向かったという言い伝えがある。

のちに鎌倉幕府の将軍になった頼朝は、お正月になると危機を救ってくれた箱根神社、妻の北条政子をかくまってくれた伊豆山神社、そして三嶋大社をお参りするようになった。この習慣が鎌倉幕府の歴代将軍に受け継がれ、現在の初もうでのルーツになったという説もある。
源頼朝も、ことあるごとに箱根神社で鈴の音に耳を澄ましていたのかもしれない。

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