江戸時代に整備された東海道、約492キロの道のりで、旅人たちに最も恐れられたのが、通称「箱根八里」。これは、当時の小田原宿から箱根宿までの四里と、箱根宿から三島宿までの四里を指す。現代でいえば、小田原から箱根山を越えて三島を結ぶ約32キロの道だ。急な坂が多いうえに、標高845メートルの箱根峠を越えなくてはならず、「天下の難所」と呼ばれた。
箱根八里は雨が降るとすねまでつかる泥道になるため、江戸時代初期に幕府が石畳を敷いた。その石畳は、今も元箱根から芦ノ湖に至る旧街道に残っている。同じ頃、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守るために、幕府は杉の木を植林した。元箱根から恩賜箱根公園までの約500メートルには、樹齢400年近くになる杉が立ち並ぶ。
険しくて旅人泣かせの箱根八里は、庶民だけでなく、江戸に参勤交代に向かう大名など身分の高い者も往来した。その時に活躍したのが、駕籠(かご)かき。かごとは一本の棒に吊るされた乗り物で、かごかきとは、その乗り物をかつぐ人のこと。お客さんを乗せることもあれば、お客さんの荷物を運ぶこともあったという。
駕籠かきは、お客さんがかごに乗ると、お礼がわりに歌を歌った。
ここは 箱根の甘酒茶屋よ
東くだりを 思い出す
東くだりとは、「江戸に行くこと」を指していて、甘酒茶屋で江戸への旅路を思い出すという意味の歌詞になる。ほかにも、違う歌詞の歌がいくつかあるそうだ。
駕籠かきたちは、歌い終えると棒を担ぎ、「へっちょい、へっちょい」と掛け声をかけて、旧街道を歩み始めた。駕籠かきの歌は、今も「箱根駕籠かき歌」として歌い継がれている。
箱根旧街道を歩く時、掛け声をかけてみたら、江戸時代の風景が目に浮かぶかもしれない。
へっちょい、へっちょい。