箱根の宮ノ下に富士屋ホテルができたのは、1878年。横浜の実業家、山口仙之助が500年の歴史をもつ旅館「藤屋」を買い取り、名前を変えて営業を始めた。アメリカ帰りで、慶応義塾に通っていた山口仙之助に起業を助言したのは、塾長の福沢諭吉と言われている。
富士屋ホテルは、当時としては極めて珍しく、開業当初から外国人をターゲットにしていた。それは当時、箱根の温泉が外国人の間で人気になっていたからだが、これには裏話がある。幕末にアメリカ、イギリスなど5カ国と締結した安政五カ国条約のなかで、外国人は開港した港から約40キロの範囲内だけ自由に動けるという規定があった。箱根は横浜から40キロ以上離れていたが、病気の療養という理由があると外国人も足を延ばすことができた。箱根は横浜より涼しく、温泉もあり、立派な富士山を眺めることもできる。自由に出歩けなかった外国人が、それを目当てに療養という名目で遊びに来ていたのだ。横浜で仕事をしていた山口仙之助が、そのことを知っていてもおかしくはないだろう。
1893年、宮ノ下の老舗旅館「奈良屋」と契約を取り交わし、外国人専用のホテルになった富士屋ホテルは、太平洋戦争が始まると、諸外国の外交官をはじめとする外国人の疎開先になった。箱根のほかの旅館や別荘にも大勢の外国人が避難してきていたため、戦時中、箱根は一切攻撃を受けなかったと言われている。
戦後になると、国内外の著名人が滞在。宿泊棟はぜんぶで4つあり、1936年に建てられた箱根のランドマークとも呼ばれる花御殿はすべての部屋に花の名前が付けられており、鍵にも花のモチーフが描かれている。最近のホテルはカードキーが主流だが、富士屋ホテルでは今も鍵穴に鍵を差し込み、ガチャっとまわす昔ながらのスタイル。40室ある花御殿はどの部屋の床も板張りで、歩けばコツコツと足音が響く。部屋も昭和初期のクラシックな内装で、タイムスリップしたような気分を味わえる。
富士屋ホテルの歴史と伝統を味わうなら、直営のベーカリー、ピコット。「ホテルの朝食で出しているパンを外でも食べたい」というリクエストに応えて、1972年、もともと観光案内所だったところを改装して、オープンした。富士屋ホテル伝統のビーフカレーの味に限りなく近づけたカレーパン、昭和初期のレシピを受け継いでいるレーズンパンなどが観光客に人気になっている。