箱根のお正月といえば、東京箱根間往復大学駅伝競走。関東学生陸上競技連盟に加盟する大学のうち、前回大会の上位10校と、毎年10月に行われる予選会を通過した10校、予選会で敗れた大学のなかで好記録を出した選手を集めた関東学生連合を加えた合計21チームが、タスキをつなぐ。東京・読売新聞社前から箱根・芦ノ湖間の往路5区間は107.5キロ、折り返しの復路5区間は109.6キロ、合計217.1キロに及ぶ、大学では最長の駅伝競走だ。

芦ノ湖のほとり、往路のフィニッシュと復路のスタート地点の目の前にあるのが、箱根駅伝ミュージアム。ここでは、第1回大会からの歴史や各大学のユニフォーム、過去の名勝負に焦点を当てた展示などがあり、東京箱根間往復大学駅伝競走に詳しくなくても楽しめる。

東京箱根間往復大学駅伝競走が始まったのは、1920年。元オリンピック選手で、マラソンの父とも称される金栗四三の「世界に通用するランナーを育成したい」という想いからスタートした。それにしてもなぜ箱根に? という疑問の答えはロッキー山脈にある。1919年、埼玉県の小学校の運動会に審判として金栗四三が招かれ、陸上界の期待の若手ふたりも同行した。帰りの汽車で雑談をするなかで、「アメリカ大陸横断ロードレースをやりたい」という話になった。アメリカには、南北を貫く険しいロッキー山脈や砂漠がある。それならば、「天下の難所」と呼ばれる箱根峠を越える駅伝大会にしようということで、箱根が選ばれたのだ。

2021年に第97回を迎えたこの駅伝は、少しずつ姿を変えて現在に至る。かつては、スタートからフィニッシュまで監督が車に乗ってランナーに伴走し、指示を出していた。その伴走車の後には応援団を荷台に乗せたトラックが続き、学生たちが声をからして声援を送り続けたという。

また、過去にはハードルや砲丸投げ、剣道などほかの競技の選手が出場したこともあった。

箱根峠の標高差864メートルを一気に駆け上がってフィニッシュに至る往路の5区は、数々のドラマを生み出した。次々とライバルたちを抜き去る圧巻の逆転劇もあれば、フィニッシュの500メートル手前で倒れての、途中棄権もある。箱根の道には、学生たちの汗と涙が染み込んでいるのだ。

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