スタート地点は、箱根町役場に隣接する箱根町立郷土資料館。ここには、箱根温泉の歴史にまつわるさまざまな資料が収蔵、展示されている。

ここで、箱根の歴史を簡単におさらいしてみよう。箱根の温泉がいつ頃発見されたのかは定かではないが、言い伝えでは、奈良時代にお坊さんが湯本温泉を発見したのが起源と言われている。鎌倉時代には現在の芦之湯付近の温泉を記した資料があり、北条氏が箱根全体を支配した戦国時代の資料にも底倉周辺や木賀の温泉が登場する。江戸時代には、さらに温泉場も増え、湯本・塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯の7か所を数えるまでになり、「箱根七湯(はこねななゆ)」と呼ばれた。

もともと箱根の温泉は、病気やけがの治癒、療養を目的とした湯治がメイン。江戸時代後期に著された、温泉ガイドブックの元祖と言われる「七湯の枝折(ななゆのしおり)」には、七湯それぞれの効能や利用方法などが記されている。そうして箱根七湯の評判が次第に高まるにつれて、江戸を中心に各地から大名はじめ、多くの人々が訪れるようになると、箱根各地の自然や神社仏閣などの史蹟などにも目が向けられるようになり、観光名所としても知られるようになっていった。

明治時代になると、新政府が東京に置かれ、皇族や新政府の高官、実業家などが東京に住むようになり、箱根はこうした人々の保養地としても注目されるようになった。さらに明治6年、箱根を訪れた福沢諭吉が新聞に「箱根の発展には道路の整備が必要」と寄稿したのをきっかけに、温泉宿の主人たちが立ち上がり、道路や鉄道を整えていったことでアクセスも向上し、これまで以上に観光客が訪れるようになった。それにつれ旅館やホテルも増え、大型化していった。

交通網の整備と並行して新たな温泉場の開発も行われるようになり、小涌谷や強羅、仙石原温泉など、次々と新しい温泉場が生まれ、「箱根十二湯」と呼ばれるようになった。

また、国際的な観光地として注目されるようになったのもこの時代だ。幕末の開国で多くの外国人が日本にやって来ると、横浜の居留地に近く、温泉や避暑に適した気候から、箱根は人気の保養地となった。そこに目をつけ、外国人をターゲットに誕生したのが、富士屋ホテルだ。

戦後、復興期を経て高度成長期を迎えると、箱根はさらに観光地として発展。温泉の開発もさらに進み、現在では「箱根十七湯」と呼ばれるまでになった。

このように見てみると、箱根温泉が観光地として大きく発展したのは、なんといっても明治時代以降のこと。この旅ではその転換期となった明治時代の発展の歴史を中心に歩いてみよう。

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