赤い瓦屋根に囲まれた、コの字型の空間に立って中を想像してみる。フライパンの上で踊る食材、カカオの香り、来訪者の笑顔に心が弾む。建物に向かって左側の扉を開ければ、「人生を愉しむ人」という名のボンヴィヴァン。白い壁に木調が映えるクラシカルな空間を、シェフの河瀬毅さん、マダムの恵子さんが集めたアンティークが彩りを添える。伊勢で老舗のフレンチレストランが、この場所に引っ越してきたのは1997年(平成9年)のこと。

重厚かつ華やかな洋館は、大正時代に建築された山田郵便局電話分室。近代名建築を手がけた吉田鉄郎による設計で、洋風庭園があるお洒落な意匠は、ドイツ民家を意識したものだという。

地元の人に長年使われてきたこの建物は、電話分室の役目を終え、逓信省、電報電話局、電電公社、NTTと名義が変わりながらも大切に保管されてきた。河瀬夫妻にとってもここは特別な宝物。いつかこの場所にレストランを開きたいと、何度も眺めては深いため息をつき、長い間恋焦がれていた。交渉相手は大きな組織、いちオーナーシェフにとって手強い存在だったに違いない。プランを練って、願い出た。その頃の伊勢市駅前といえば、店はまばらで人通りも寂しく、自らの店を移して活性化になればと考えた。粘り強い交渉と迷いのない覚悟でついに許可が下りた。電話分室として当時から発信力のあったこの建物で、最高の食材でつくる正直な料理を発信していこう。これまでの歴史に恥じない料理とサービスを提供し続け、外宮参道には志を同じくする料理人も集まってきた。もしかすると、本当のおたからは建物ではなくシェフやマダム、その人なのかもしれない。ボンヴィヴァンの発信力が今、まちを動かしている。

ボンヴィヴァンは食物の神である豊受大御神を祀る外宮が目の前にある。「料理人や生産者、食を商いにしている人たちが自然と集まってきます。遠方からのリピーターも多いんです。神さまが引き寄せてくれるんでしょう」と河瀬シェフ。市内で別の場所に店を持ったのは1983年。外宮前の白亜の洋館に移ってからは25年を迎える。ティールームにブラッスリー、メインダイニングと器を大きくしたときもあったが、今はコース料理のみでメニューを組み立てる。

洋館の右側は神楽サロンのアートギャラリーとダンデライオンチョコレートがオープンし、最奥には音楽ホールが入った。眠っていた建物に河瀬シェフが息吹を吹き込み、にぎわいが生まれ、「逓信館」としてよみがえった。

ボンヴィヴァンでのシェフとマダムのもてなしは、至福のひととき。パールポークや旬の地魚、身近にある季節の野菜。生産者に敬意を払って、その恵みを最高の状態に引き立てた料理はアートのように美しい。プティフールは朱塗りの伊勢春慶を器に仕立てる。料理を通じた地域貢献もシェフの信念。外宮の森を目の前に、大正時代のクラシカルな建物が醸す雰囲気に酔い、参拝後の食事として伊勢のご馳走を神のそばでしっかりと味わいたい。

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