アラセツの日、ショチョガマと平瀬マンカイが終わったら、この場所でみんなで「八月踊り」をする。これがアラセツの日の流れであり、八月踊りで大団円を迎えるというわけだ。
八月踊りでは、太鼓にあわせて男女が掛け合いをしながら歌い、輪になって踊る。八月踊りに勝ち負けはないが、駆け引きはある。男が歌えば、女が歌い返す。その逆もしかりなわけだが、たまに年配の人が難しい歌を歌いかけてくる。そのとき、返すべき歌を返せるか。それができなければ、歌も踊りも止まってしまう。といっても、あくまで無礼講でみんなで盛り上がる大宴会だ。
たとえ平日であっても、誰かが八月踊りの太鼓を鳴らして歩き出すと、まるでハーメルンの笛吹き男のように人々が連なっていきそうなほど、集落の人たちは血がたぎり、体が勝手に踊りだすという。そのなんとも言えない感覚、その深みを味わうためには、やはり、アラセツ行事がおこなわれるその日に秋名に来てみてほしい。その前に、この歌を耳になじませておくとよいだろう。もちろん、ぶっつけ本番でも八月踊りは楽しめるが、見よう見まねだと、どうしても半テンポ遅れてしまう。歌を知っていれば、歌にノれる、踊りにノれる。そうして自分の体が場の空気に溶け出してしまうかのような一体感が味わえたときこそ、八月踊りの深みにハマるのだ。
八月踊りは、かつての「結わく」のように人々を集落に結びつけている。集落の子どもたちもまた、アラセツ行事の日が近くなると学校で習った八月踊りの歌を歌いながら登校していく。その声が集落を明るくしているのだとか。子どもたちはすでに大人が知らない歌まで歌っているとのことで、後継の心配はなさそうだ。
〜秋名こぼれ話〜
「八月踊り」は集落の人たちの定番の踊り。ショチョガマを倒せば八月踊りがはじまり、平瀬マンカイの儀式が終われば八月踊りがはじまり、秋名集会場でもみんなそろって八月踊りを踊る。
アラセツの日である旧暦の八月に稲の神様に感謝して、次の実りを祈願するために踊ったのが「八月踊り」の起源であるが、昔の秋名は二期作だった。八月を境にして再び種籾から種下ろしをして冬も田んぼをやるのである。その「種下ろし」の行事は現在も秋名に残っていて、このときにも八月踊りを踊る。
昔の「種下ろし」は厄払いもかねて各家をまわりながら八月踊りを踊っていたという。それも3日3晩! 八月踊りを迎える家はご馳走を用意してもてなしていたが、当時は「サキザレ」と呼ばれ、ひたすら飲み食いをして踊りもしないズル賢い人もいたそうな。八月踊りの集団に先んじて家々を訪れてご馳走をつまみ食い。八月踊りの集団が来たらイソイソと次の家に先まわりする。あげく、誰かの家の縁側で朝まで眠っていたりして、それはそれで風情があるものだったという。