絵付けは「描く」ではない。「掘る」。出来上がった作品は「飾る」だけではなく「使う」。
能登半島の先端で受け継がれた伝統工芸「輪島塗」は、たくさんの職人の手により、124もの工程を経て一つの作品になる。
細い沈金刀を、きれいに漆が塗られた皿に力強く落とす。縦に線をひくと、きい、という音がした。まるい線を掘りたいのなら、漆器を回しながら掘る。くるりと回っても、沈金刀はなかなか漆器の動きに従ってくれない。けずる感覚は手に心地よさを与えてくれた。掘った部分に漆を摺り込んで、さらに金を摺り込むと、掘った溝に金が沈む。沈金師の職人技は、これを何年も何十年も繰り返して生まれるのだ。
塗ることは人生。掘ることも人生。掘った部分はもう消せない。職人の人生が積み重なり、今も輪島塗は存在しているのだ。この伝統工芸品は、飾るのではなく、作った後一週間から二週間ほどしたらぜひ使ってほしいと若女将は言った。使うことで、「輪島塗」は伝統工芸品としての魅力を私たちに伝えてくれる。
若女将の生まれは石川県の山中町、実家は加賀市の山代温泉にある。仕事で七尾勤務になった後、縁あって「漆陶舗あらき」に嫁いだ。21歳だった。当時、加賀から能登までの交通の便は良くなく、挙式前日に和倉温泉に泊まって花嫁支度をしてから嫁ぎ先へ向かった。若女将の実家のある地域には花嫁のれんの風習はない。だが実家の家族は、嫁ぎ先の伝統を尊重してのれんを準備してくれた。それは今でも大切に自宅にしまわれている。鳳凰に桐の模様、そして家紋がある。若かったのでそれが何を意味するのかも聞くことがなく、言われるままにのれんをくぐった。
のれんに関する勉強を始めたのは一本杉通りでのれんを展示することになってからだ。知識を得るにつれて、のれんにこめられた両親の「嫁ぎ先に馴染んで末永く幸せであってほしい」という願いがだんだんとわかってきた。やがて娘が生まれ、彼女は10年ほど前、近隣の街に嫁いだ。「花嫁のれんだけは持たせてあげよう」。若女将の胸に自然とそんな思いが宿り、娘ののれんを呉服屋で作ってもらった。図柄を見ながら、華やかで可愛いものにしてあげたいと思った。最終的にたくさんの花を御所車にあしらった柄ののれんを選んだ。
娘は幼少期から一本杉通りの花嫁のれんに取り組む姿勢を目にしながら生活していた。説明はしなくても、自分の思いは娘に伝わり「覚悟ののれん」をくぐっただろうと若女将は語る。県外ではあまり知られていない、花嫁のれんの風習。それを途切れることなく次世代に受け継いでほしい。そう願いながら、今日も若女将はお客さんに輪島塗と花嫁のれんの話をする。