海藻を水につけるとよく広がる。色とりどりの海藻をはがきにのせ、広げるだけでアートになる。海と川、そして陸と山は命でつながっている。人が食べられるのは海藻、食べられないのは海草(うみくさ)。海藻は岩場に生えていて、海の中の森を作る存在だ。海草は砂地に生えて花が咲く。海の草原を作っているのだ。海の中をたゆたう海藻、海草、そして魚たち。
女将は打ち上げられた海藻を自ら能登の浅い海辺や浜辺まで取りに行った。その海藻を手に、店の2階にある海藻おしばギャラリーで海藻を選び体験していると、自然と心が安らぐ。はがきの上で、海藻が踊る。最後は彩り豊かな絵になる。
花嫁のれんには一枚一枚に物語がある。のれんの値段なんて関係ない。親の愛情を語る物語を宿しているものなのだ。「昆布海産物處しら井」の女将は元気いっぱいの明るい女性だ。取材中も笑い声が絶えない。「たくさんののれんを通して、それぞれの思い出をみるんですよ」。女将はふと真剣な表情になり、そう話した。彼女の実母は、のれん展のときに自分ののれんを女将に渡してくれた。
母が嫁いだのは終戦直後である。「食べるものもろくにない時代だったけど、親はのれんを持たせてくれてんなあ」。娘である女将にしみじみと話していたそうだ。母は6年前に病気になり今は病院にいる。動けず、話せない状態だ。女将は母の花嫁のれんのはがきを小さな額に入れ、母の枕元に置いておいた。すると90過ぎの母は若い頃を思い出したのか、嬉しそうに表情をほころばせた。「本にのれんのことが載ったよ」。女将がそう語りかけると、目じりの皺を寄せて笑顔になった。実家にいる兄弟の妻が「お義母さんの目に触れるところにあのはがきを置いておくと、いつも見てるよ」と女将に教えてくれる。
女将が嫁ぐ前、母が自分ののれんを見ていた記憶はない。だけど、いくつになっても自分がお嫁に行ったときのことは覚えているものなのだなあ。せめてもの親孝行にと、女将は母の隣で花嫁のれんの話をする。「今年ものれん展、始まるよ」。話せない母はうなずく。女将が結婚してのれんをくぐったときは、のれんの持つ意味を知らなかった。だけど今はよくわかる。祖母から母へ。母から自分へ。そして、自分から母へ。のれんを通して愛情は行き来するのだ。
女将の息子の妻は、遠方から嫁いできた。女将は自ら彼女ののれんを用意した。鮮やかな赤いそののれんは、花嫁のれん展が開催されるたびに展示されている。