「今回の織物は特に質がいいよ! 見ていって!」
富士吉田市の地場産業、織物。富士織物株式会社ができたことをきっかけに、織物に関連する仕事が増えていき、ここは「織物の町」として知られるようになった。
織物ができるまでの流れをざっくりと説明するならば、東の明見地区から西に向かって、本町通りに近づくにつれてだんだん製品化されていく。そして、本町通りを渡って東側にある、ここ「絹屋町(東裏)」で、販売取引がされていた。
とにかく軽くて長距離でも運びやすい、そのうえ質も良い織物がここにある。そんな噂を聞きつけた絹織物問屋や仲買人が東京、大阪、名古屋など、富士吉田の織物を求めて出張してくるようになり、1と6が付く日には市が開かれた。
市は、絹屋町の家の座敷を間借りして開かれた。そのため、このエリアには道路に沿って扉が大きく開く造りになっている。そこを開き、織物を並べて商売をしたのだ。絹屋町の狭い通路では、日本を代表する繊維商社が出張所を構え、買い付けをしていた。
そしてもちろん、仲買人たちが泊まるのは本町通りの西側にある西裏地区である。西裏の歓楽街が大きくにぎわっていったのには、そのような背景もあった。
日が暮れようとする頃、歓楽街で働く女性たちは「絹屋町」の東側にある、商売の神様であるお稲荷さんにお参りをする。その帰り道、集まっている男たちに声をかけ、本町通りを横切って、夜の西裏に繰り出したのだった。