「いいか、この坂を一番先に下りたやつが勝ちだ」

富士山から麓に向かって広がる坂にある町、それが富士吉田だ。本町通りは上吉田から下吉田にかけてゆるやかな坂道になっており、人々はよく自転車を使って坂をくだった。

それは、子どもたちも同じ。彼らにとって“自転車と坂道”の組み合わせは、最高の遊びになった。

10歳にもなれば、やっとギア付きの自転車を買ってもらえる年頃。少年たちの行動範囲は格段に広くなった。『CCR(サイクル・クラブ・レーシング)』というチームを作り、大月や本栖湖、県を越えて富士スピードウェイまで行くことも。

そんなある日のこと。彼らが思いついたのは、本町通りの長い長い坂道を上吉田の一番上から下吉田駅まで突っ走る、チキチキマシーン猛レース。

「ヨーイ、ドン!」

道を思いっきり蹴り上げたが最後、そこからはペダルを漕ぐことは許されず、ハンドルさばきとブレーキの微調整だけで信号をくぐりぬけていく。最後に訪れる宮川橋から下吉田駅までの上り坂をクリアするためには、信号なんて気にせずに、ほぼノーブレーキで駆け抜けなければならないのだ。

だんだんと、確実に、スピードが上がってくる。信号が青になるタイミングを見計らいながら、ブレーキを調節し、全員が下吉田ゾーンに突入した。このあたりからはブレーキをほとんどかけず、宮川橋まで3つの信号をクリアしなければならない。

1つめの信号は、全員がクリア。誰もほとんどブレーキを使っていないとわかるほどの猛スピードで、次の信号を目指す。信号は赤、しかし先頭はスピードをゆるめる気配がない。

ドカーン!

買ってもらったばかりの自転車と少年が、空を飛んだ。

突っ込んだ車体を飛び越えて、クルンときれいに1回転してから道路へ。片腕骨折。もちろん、当分のあいだ自転車禁止が言い渡された。しかし、ギプスを巻かれた腕は、なんだか勲章のようで仲間たちからはうらやましがられていたのも、今となっては良い思い出である。

その後、仲間の誰かが、高校生になった彼を見かけたという。バイクに乗って暴走族のように走り回っていたそうだ。自転車で坂道を下っていたときみたいに、ニヤリと口元を緩めて。

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