「粋で風情のある時代だったなぁ」
最盛期の西裏には、芸者さんが250人もいたという。夜の帳が下りる頃、銭湯と美容院で支度を整え、見番へと向かう芸者さんたちの姿が、町のあちらこちらで目に留まった。そんな町並には風情があった、と当時を知る人は遠くを見つめる。
芸者さんたちの仕事先のひとつに、料亭㐂久住がある。今となっては当時の様子を知る者はほとんどいないが、たくさんの装飾を施した100畳敷の大広間や、離れに行く途中の池にかけられた太鼓橋など……とにもかくにも広く豪華な料亭であったと聞く。
しかし、戦時下の「贅沢は敵だ!」のスローガンのもと、㐂久住は昭和20年(1945年)、やむなく看板を下ろした。その後、跡地には何件もの店が立ち並び、改めてどれだけ広い敷地であったのかを感じさせられたという。
当時、芸者さんの多くは付近の家に下宿しており、三味線の音色と芸者さんたちの行き交う姿はこの辺りの人たちにとって日常の光景だった。子どもたちもごく当たり前に芸者さんたちを「めとらさん」「きみかさん」などと下の名前で呼び、可愛がってもらっていたという。
「あの頃は、粋で風情があって、いい時代だったなぁ」
かつてのこの町で育ち、芸者さんたちとの思い出を語る人は、そうつぶやいた。