「すみません、以前ここで着物を誂えていただいた者ですが……」
明治から100年以上続いた呉服店、三吉屋の店長が顔を上げると、そこには確かに30年前に着物を仕立てた芸者さんの姿があった。
三吉屋は明治40年(1907年)、月江寺商店街の入り口に店を構えた。お出かけ用の服、娘の晴れ着、嫁入り道具など、近所の人々のみならず、あらゆる地域から着物を仕立てにやってきたという。
土地柄、歓楽街で働く芸者さんの着物を仕立てることも多かった。新人を連れてくるおかみさんに頼まれて、これから芸者さんの道を歩む若い子たちに必要な着物一式を仕立てる。最初にまとめておかみさんが支払い、働きながら返す芸者さんもいた。お金のために仕方なく芸者さんになった女性のほか、自ら憧れて目指した人も少なくはない。
三吉屋の注文は、基本的にツケ払い。信頼と義理で、人々は仕立てた分は必ず支払いに来た。しかし、中にはたしかに数枚、注文を受けたのに持ち主が現れなかった着物もあった。それも30年間。ある着物は、三吉屋で依頼主を待っていた。誰にも袖を通されることなく、売られることもなく。三吉屋の店主も、着物を処分するわけでもなく、月日だけが経っていった。
「私のこと、覚えてる?」
そう言いながら店に入ってきた女性は、年こそ重ねていたが間違いなくかつて西裏で芸者さんとして働いていた人だった。話を聞くと、当時、着物を仕立ててもらったものの、お金がなく取りに来られなかったという。その後結婚し、芸者さんを辞めた。30年経った今、ずっと気にかかっていた着物を取りに来られたというのだ。
この他にも、三吉屋にはおもしろい「ツケ」話がある。
身体を壊して働けなくなった芸者さんに「支払いはお金があるときで大丈夫だから」と言った店主のもとに、数年後に大金持ちの男が訪ねてきた。店で一番高級な着物を、店主の言い値で買うという。
よくよく話を聞けば、以前支払いを待っていた芸者さんの嫁ぎ先だということがわかった。「嫁がとてもよくしてもらったから」と、男は何百万円もする着物を買っていった。
またあるときは、「別れた妻のツケを支払いにきた」と男がやってきたこともある。義理と人情、そんな下吉田の人々の気質と三吉屋の店主の人柄で、三吉屋は貸倒れたことが一度もないのだとか。