目を凝らすと見えてくるもの

窓際の席に座って、コーヒーを待つ間、天井を見上げてみる。日差しが強いと、もしかしたら目が慣れるまで時間がかかるかもしれない。それでもじっと見つめ続けていると、暗闇の中に木彫りの龍の陰影が、かつては鮮やかだった色彩が浮かび上がってくる。

この龍細工は、かつてこの建物の中にあった茶室に飾られていたものだという。茶室は過去の火事で焼けてしまったけれど、龍細工は奇跡的に一部が焼け残った。店主はこの喫茶室を開く時、この龍細工を飾ろうと思い立つ。最初はもっと目立つところに飾るつもりだったけど、「龍は高いところから見守るものだから」、そして「気づく人だけが気づく方が粋だから」、そんな理由であえて目立たない場所に飾ったという。

店に流れる時間をずっと見守っている龍細工だけど、言われなければたいていの人は気づかない。そんな風に、見過ごしている小さな奇跡があるのかもしれない。そうならないように目を凝らして、心を研ぎ澄ませていたい。

がたごとと外を走る市電の揺れが、窓際の席まで伝わってくる。その心地よい揺れが、普段とは違うリズムの中に自分を誘ってくれる。

長崎次郎喫茶室があるのは、大正時代に建てられた和洋折衷の個性的な建築の2階。1階にある書店は明治7年創業で、かつては熊本で暮らしていた森鴎外や夏目漱石も訪れたことがあるという。2階の喫茶室がオープンしたのは2014年。書店に比べると歴史は浅いけれど、「村上春樹さんが来てくれたこともあるんですよ」と店主が教えてくれた。文豪たちを惹きつける、特別な魅力があるのかもしれない。建築の独自性、時間を巻き戻すようなレトロな蓄音機、メニューと一緒に立てかけられた、旅行者たちが思いを記すノートブック。なるほど、物語がはじまりそうなものがそこかしこにある。

1階で買った本を手に、窓際で読書に耽る。いつもよりゆっくりと、豊かな時間が流れる。

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