城下町を散策する時、何度も通ることになるのがこの明八橋だ。古町と新町をつなぐこの橋を作ったのは、熊本県の山都町にある通潤橋を建設し、東京の日本橋や皇居の二重橋にも関わったと言われる明治時代の名石工・橋本勘五郎。東京で数々の橋を設計したあと、そこで培った技術を生かして明八橋を作った。

この明八橋、熊本地震で欄干の一部が倒壊してしまった。しかし幸運にも欄干はすべて外側の坪井川ではなく、内側に向かって倒れたため、当時の石材をそのまま使って修復することができたという。不幸中の幸いとも言える、明八橋の奇跡。明治時代の名工は、こんな時のことも計算していたのだろうか。

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