もしもカーテンを開けたまま眠りについたなら、強烈な朝日によって目が覚める体験をしたかもしれない。あるときは雲間から漏れるやわらかな光に包まれて。またあるときは雨のオーケストラによって。あなたは今日という新しい朝から、どんなエネルギーを感じただろうか。
部屋から見える風景はどうだろう。今日の内海は昨日からどのように変化しているだろう。その違いを感じとってみてほしい。
内海が本当に穏やかな日はぴたりと凪になり、まるで鏡のようにまわりの風景を映しだす。逆に荒れている日は船が出ないほど白波が立つ。そうでなくても、水面は刻一刻と変化する。たとえば、ほんの小さなボートが遠くを通り過ぎただけでも水面はゆらいでいく。ふと、その水面を自分の心と重ねてみる。ちょっとした出来事で心が揺さぶられるのは、いろんなことがつながっているから。そんなふうに目の前の風景に自分の心が投影されることもあるかもしれない。
大地の風景からいろんな気づきを得られるようにするにはどうしたらよいのだろう。
人間には無意識のせいで気づいていないことがたくさんある。たとえば、あなたは今、自分が呼吸していることに気づいているだろうか。試しにベッドに座って目を閉じてみてほしい。そして、次の音にあわせて呼吸してみてほしい。
どうだろう。自分が呼吸していることを意識することができただろうか。まるで瞑想のようだが、禅における瞑想とは心を無にすることではない。無とはめちゃくちゃに多いこと。多すぎて逆に無になるように、流れゆく思考を受け止めて、受け流していくことで自分と向き合うことが禅であるという。それは、流れゆく雑踏に紛れることで、自分もまたたくさんの人間のひとりに過ぎないことに気づく感覚に似ているかもしれない。
部屋の中にいると外からの情報は遮断されている。しかし、ドアを開けた途端にまた無数の情報に囲まれることになる。そのとき、外に気づくことで内に気づけることを思い出してほしい。そもそも呼吸自体、外のものを取りいれているのだ。呼吸ひとつとっても自分だけでは成り立たない。外に影響されて自分がある。そんなつながりを見つけてみてほしい。
それでは、最後に1分間。呼吸をしながら、浮かんでくるさまざまな思考を受け止めて、受け流す。そうしながら外に気づくことで内に気づく。そんな感覚を養ってみてほしい。