小粒でモチモチ。そう評される海士町のお米。この場所から島前で唯一の平野と田んぼの風景が見渡せる。

海士町はお米を育てることができたからこそ、後鳥羽上皇のような高貴な人が流される場所として選ばれた。どういうことか。後鳥羽上皇は戦いに敗れて島流しとなったにせよ、当時は神様のような存在。それゆえに飢えて苦しい思いをして死なすわけにはいかない。そんなことになっては都に祟りがあると信じられていたからだ。だからこそ、縁起が良いとされる北西の方向にあり、食うに困らない田んぼがあり、海産物も豊かで知られていたこの島に流されることになったのである。

ちなみに家督山に登っていくとたくさんの牛に出会うはずだ。この島の牛は潮風をたっぷりと浴びた草木を食み、噴火で形作られた傾斜の激しい土地を歩くことで骨格がしっかりとしたミネラル豊富な牛が育つ。ブランド牛でもある隠岐牛は牛舎である「潮風ファーム」で岩ガキの殻も食べている。カキの殻にはミネラルがふくまれていて肉がやわらかくなるといわれているからだ。そんなところもまたつながっているのである。

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