隠岐神社が建てられたのは1939年。神社としては新しく、後鳥羽上皇が亡くなった1239年から、ちょうど700年後の出来事である。なぜ、この場所に建てられたのかといえば、後鳥羽上皇が暮らした住まいがあったから。そして、後鳥羽上皇の遺灰を祀る御火葬塚があったから。

後鳥羽上皇はこの島で19年間を過ごした。その暮らしは悲しみにくれる日々だったのだろうか。あなたなら、どうだろう。この島でどんなふうに過ごすだろうか。後鳥羽上皇はこの島で800首もの歌を作って歌集を編纂したり、闘牛や献茶を楽しんだり、刀鍛冶を呼び寄せて刀を作ったりしていたといわれている。

ちなみに、いろんな神社などで見られる菊の御紋は後鳥羽上皇が発案したもの。というのも、後鳥羽上皇が天皇に即位したとき、継承されるべき三種の神器のうち刀だけが失われていた。そのことで刀にコンプレックスがあったのか、自分の刀の柄に自分のマークとして菊の御紋をいれて大切にしたという。それが現在の天皇家の家紋になっているのだ。そう聞くと、御火葬塚にある菊の御紋も特別なものに見えてくるのではないだろうか。

ところで、あなたはカラスバトを知っているだろうか。その鳴き声が牛に似ていることから地元の人はウシバトと呼ぶ。国の天然記念物で離島にしか生息しておらず、名前の通り、体はカラス、頭はハトという不思議な見た目をしている。人前には滅多に姿をあらわさず、島の人でもその姿を見た人は少ないのだが、鳴き声にならば、この場所で出会えるかもしれない。この音を頼りに探してみてほしい。

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