明屋海岸のあたりで噴火が起きて、海士町に平野が生まれた。それならば、噴火口はどこにあるのだろう。確かな場所はわかっていないが、この場所から牛舎のある光景を見下ろしてみてほしい。ちょうど小さなカルデラの底に「隠岐潮風ファーム」の牛舎が建っているように見える。もしかすると、牛舎のあたりで噴火が起きて、その溶岩が空高く舞い、明屋海岸まで飛んでいったのかもしれない。

また、この道から西に向かって車を走らせると「タケシマシシウド」という珍しい植物が見られる。日本では海士町にしかない植物で、6月ごろに花が咲く。とはいえ、海士町にしかない植物というのは稀であり、むしろ不思議なのは北海道で咲いているような花と、沖縄で咲いているような花が同じような標高で咲いていること。どうやら、この島が本州と陸続きであった時代に移動してきたらしい。

というのも、本州と隠岐の間の水深は約80mしかない。そのため、地球が寒冷化すると海面が下がって陸続きとなり、温暖化すると海面が上がって離島となる。それを何度も繰り返して現在に至っている。そうして、寒冷化で陸続きとなっていたときも、隠岐は対馬暖流の影響で暖かかった。それゆえに寒さに弱い植物が隠岐まで避難してきたというのだ。ただし、植生が豊かというわけではない。火山の島で土壌に栄養が少ないため、なんとかギリギリで生きている。元気に群生しているというよりは、なぜか1本だけ奇跡的に生き残っていたりするのが隠岐の植生なのだという。

それにしても、隠岐が本州と陸続きであったとは驚きだ。それも、2万年前の寒冷化では陸続きになっていたというから、つい最近のことのようにも聞こえる。もしかすると、数万年後には再び本州とつながっているかもしれない。温暖化や寒冷化はそれほど身近なものであり、そうでなくても海の下ですべての大地はつながってるのだ。

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