日本の文献にはじめてビールが登場するのは、1724年に刊行された『阿蘭蛇問答』。ところが、そこには「殊のほか悪しきものにて何のあぢはいも無御座候」と書かれてあり、残念ながら当時の日本人の口には合わなかったことがうかがえる。
しかし、幕末になると状況が変わってくる。横浜や神戸などに置かれた外国人居留地で、外国人によるビール醸造がはじまったのだ。横浜居留地にできた日本初のビール醸造所「ジャパン・ブルワリー」を皮切りに、数々のビールが誕生。中でも同じく横浜居留地で開業した「スプリング・バレー・ブルワリー」は評判で、旧地名・天沼を冠して「アマヌマ・ビヤザケ」の名前でも親しまれた。
この中で、日本人が手がけるビール醸造所も増えていく。1900年ごろには、国産ビールブランドの数は100を超えていたという。ホーローやステンレスといった新しい素材の大型タンクで醸造するところが増えていたが、醤油や日本酒の醸造で用いられる木桶を使っていたところもあった。
籠屋ブルワリーの顔となる「和轍(わだち)」も、吉野杉の木桶を使って仕込んだビール。木桶に棲みついた微生物が時間をかけて発酵を進めてくれるため、芳醇な飲み口が生まれるという。木桶はタンクが小さいものしかなく、メンテナンスが大変なので、現在ビール醸造で使っているブルワリーはほとんどない。それでも、籠屋ブルワリーは木桶仕込みのビールにこだわる。他の方法では出せない、日本の味があるのだ。
和モダンな料亭のような店構えの発酵料理レストラン「籠屋たすく」。籠屋ブルワリーは、この一角に併設されたブルワリーだ。籠屋の創業は1902年。もともとは店名にもある籠をはじめとした竹細工を扱っていたが、昭和期からは酒屋としても商売をはじめた。レストランとブルワリーは2017年からだ。
ブルワリーの設備は、ぴかぴかに輝くステンレス製タンク5基と、吉野杉で作られた木桶が1基。オーナーは「日本人が誇る日本のビールを造るんだという強い気持ちで、ブルワリーを開設しました。ブルワリーの数、醸造家の数だけ、その個性が表現できるのが、クラフトビールの面白いところ」と話す。
吉野杉の上品な香りが味わえる和轍は、和食との相性に優れているそう。一般的なビールでは相性が難しいとされるマグロの赤身や金目鯛と合わせた時、驚くほど食材の特徴を生かしてくれるという。酒と料理のペアリングを追求する「籠屋たすく」では、その絶好の組み合わせが堪能できる。
「木桶は5年、10年と時間が経つごとに性格が変わる。それにともなって味わいがどう変わっていくかも楽しみですね」とオーナー。経年変化が楽しめるのも、木桶ならではだ。