これが噂のバナナ売りか……。田舎では味わったことのない雑踏と喧騒。電車が到着するたびに殺到する客引きに、大きな風呂敷を両手にさげた乗客たちが駅前にずらりと建ち並んだ旅館に次々と吸いこまれていく。それでも人の数は一向に減っている気がしない。行き交う人には異国の人の姿もあり、飛び交う言葉は日本語のように聞こえても、どこの郷の言葉かさっぱりわからない。そんな港町でとりわけ人だかりができているのがバナナの叩き売りだ。聞くところによるとバナナはかなり傷みやすい。貿易先である台湾から『大阪商船』が運んでくるあいだにも傷んでしまうものがある。だからこそ、門司港に着いたところで傷みそうなものは安く売りさばいてしまうのだとか。

「さぁ買うた買うた!」

ハッピに鉢巻をしめた男が板をバシバシと叩きながら威勢のいい声をあげる。そして、大きな一房のバナナを抱えあげる。

「さぁ買うた!この見事なバナナが三十銭!」

男は三本の指を立てて客の顔を見まわしている。そしてまたバシッと板をたたく。

「二十五銭!」

「買った!」思わず声を出してしまった。一瞬の静寂。しかし、おれのほかに声をあげる人はいない。しまった、もう少し待つべきだったか? そんな後悔が頭をよぎったものの「これは門司まで来た景気づけだ!」そう思い直して高級品であるバナナに惜しげもなく食らいつく。そうさ、おれはこの場所から成り上がるんだ。なにせ、この町には夢がある。一攫千金の夢が。おれの人生は今日ここから変わるんだ──

門を司ると書いて門司(もじ)。この町はまるで日本のスエズ運河。本州と九州をつなぐ海峡の港町である。江戸時代までさびれた村であったが、明治の産業革命、そのエネルギー源となる石炭が北九州で採れたことから、その石炭を積み出すために港が必要になった。そのときに白羽の矢が立てられたのが門司である。まもなく『九州鉄道』の本社が置かれて鉄道の誘致に成功。それも0マイル地点、九州を走る鉄道の起点かつ終点となった門司には石炭の会社をはじめ、ありとあらゆる企業が軒を連ねるようになっていく。そうして急速に成長を遂げた港町には各地から人が集まってきた。なにしろ、港に立っているだけで仕事にありつけると言われるほど働き手が求められていたからだ。

バナナの叩き売りの声がノリにノッていたのもこのころ。当時は船と鉄道の乗り換えの際の待ち時間が長かった。その間に映画館や芝居小屋をのぞく旅人もいた。バナナを売る屋台は多い日で30店も立ち並び、夜になっても明かりを灯してお祭り騒ぎが繰り広げられる。競りのスリルはひとつの娯楽であったのだろう。このように賑わいを見せる門司の港には、神戸を超えるほどの船が行き交い、地価は東京の日比谷と変わらないと言われた。成功者は『三宜楼』をはじめとする料亭で芸者を集めて大宴会。あのアインシュタインも門司の『三井倶楽部』に泊まり、門司の港から次の国へと旅立っていった。

国際的な港でもあった門司は、大陸への進出を見据えた日本の国家戦略もあり、繁栄を極める。しかし、それゆえに太平洋戦争で徹底的な空襲を受ける。門司港駅は奇跡的に無事であったものの、あたり一帯が焼け野原となり、関門海峡は封鎖に追い込まれた。戦後、ほどなくして朝鮮戦争による特需があったものの、それをピークに石炭が斜陽化すると門司港も衰退。さらに『関門トンネル』ができたことで、交通の要所としての存在感も小さくなり、日本の高度経済成長からも取り残されることになる。その一方で、だからこそ、レトロな文化遺産をたくさん残すことができたとも言えるだろう。

Next Contents

Select language