「坊ちゃん!ここの魚はおいしいよ」
声をかけられて振り向くと、きらきらした魚がぼくを待っている。でももうお腹いっぱいだ。
「お母さん、どうしよう」
「もう食べるのはおしまい。これから映画を見るんやから」
お母さんはそう言っているけど、なんだか楽しそう。
ぼくたち家族は路地に入った。小さな店がたくさんあるなあ。
「お父さん、お母さん、今からどこ行くん?」
返事はない。ただにこにこして、お母さんは小さな映画館を指さした。外に貼ってある手書きの看板は、上映中の映画の内容を表している。
「こんにちは、坊や」
扉を開けたら、男の人がにこにこして出迎えてくれた。売店にいるお茶子さんとか、チケットのもぎりさんとかもいる。たくさんの人が働いてるんだなあ。
「さあ、行こうか」
お父さんはいつのまにかチケットを買っていた。いつもは物静かで厳しいお父さんだけど、すたすたと早足で映画館に入る。
「張り切ってるみたいね」
お母さんがくすくす笑いながらささやいた。
映画って、どんなものだろう?
ぼくは真っ暗な映画館に入った。しばらくすると、正面のスクリーンから光が出てきた。まぶしいと感じた瞬間、目の前に異世界が広がった。
小倉には個性的な市場や商店街、映画館がある。
その中のひとつ「魚町銀天街」がある魚町は、昭和初期、呉服の街として知られていた。呉服屋の座敷では客が上から下までじっくりと衣装を選び、すべてを揃えて購入する。数時間かかることもあった。店は客のために食事をも出していたという。まさに「おもてなし」の精神が行き届いていたのだ。商人たちは店の表で商いをしながら、同じ場所で生活を営んでいた。冬は毛糸、夏はアイスキャンデーと商品を変えている店もあった。
彼らの楽しみは、明治から続く魚町の祭り「えびす市」。この祭りで各商店の人々は仮装をして盛り上がる。戦後は時価12万円相当の家がまるごとえびす市の商品になったというので驚く。昭和は、魚町銀天街が小倉を代表するモダンなファッションの街として栄えた時期と重なっていたのだ。
とはいえ、せっかくのえびす市の日に雨だと客足は遠のく。魚町銀天街の商店もそうだ。雨の中、お客さんに買い物をしてもらうのは忍びない。ある発案者が「魚町銀天街にアーケードを」と呼びかけたのは、高度成長期のことである。魚町銀天街の店主たちは驚きの声をあげたことは容易に想像がつく。なぜならそれは、日本初の商店街にアーケードを設置しようという提案だったからだ。
驚きながらも、どんな天気でも祭りを楽しみ、ふだんは商店街にいるお客さんに買い物を満喫してほしいという店主たちの気持ちは共通していた。
魚町銀天街に日本初のアーケードが完成した日は盛大なパレードが行われたという。門司港と小倉を結ぶ送迎バスも走った。北九州中の人がアーケードを見て息をのんだのだ。「北九州の台所」旦過市場まで約400メートル続くアーケード商店街に見る者すべてが圧倒された。
アーケードは見事に成功をおさめた。えびす市は天候の不安なく開催されるようになり、買い物客が雨で困ることはなくなった。その後、「魚町銀天街のように」と思ったのか、どんどんと日本中の商店街にアーケードが設置されることとなる。
自分の近所にある商店街のアーケードは、日本で何番目にできたものだったんだろう。ぜひ想像してみてほしい。魚町銀天街がなければ、今も日本の商店街にはアーケードはなかったのかもしれない。
アーケードができた数年後には小倉駅が現在地に設置された。魚町銀天街は駅から徒歩7分で行けるようになり利便性が増した。
現在、魚町銀天街はグルメや雑貨を楽しめる街になった。北九州名物の焼きうどんやお茶スイーツなど、さまざまな飲食店が軒を連ねる。そして、銀天街を抜けると雰囲気の異なる旦過市場が待っている。