製鉄技術は、幕末から明治のはじめまで海外に頼ることが多かった。
日本で鉄を作りたい。国民の強い思いは、近代化の進んだ明治の半ば、とうとう形になる。「官営八幡製鐵所旧本事務所」が生まれ、海外に頼らない日本の鉄づくりが始まったのだ。
赤レンガの洋風の建物は「製鉄」という言葉とそぐわない。ドイツの製鉄技術に影響を受けたことも関係しているのだろうか。
1901年、初めて東田第一高炉に火が入ったとき、人々は歓喜の声をあげた。八幡の繁栄の始まりを意味する炎だった。
それからは環境問題もあり、スムーズに事が運んだわけではない、だが住民たちは力を合わせて問題を解決した。苦難を乗り越えた八幡は今も息づいている。
現在、一般には公開されていないが、旧本事務所を眺望できるスペースがある。