明治に開通し始めた鉄道。北九州にも大蔵線という路線ができ。川を渡るために当然強靭な橋が必要となった。そこで作られたのが、レンガ造りのアーチ橋「尾倉橋」だ。後に戸畑線(今の鹿児島本線)が開通したことにより、大蔵線はたった20年で廃線になるが、当時の人々は輝く未来をそのアーチ橋に見た。

大蔵線が廃線となった後も、アーチ橋は「旧九州鉄道尾倉橋梁跡」として残った。鉄道が走っていた場所は、現在は道路になっている。

廃線となった大蔵線を偲ぶものとして、近隣には旧九州鉄道茶屋町橋梁跡もある。

あれから現代まで、周囲の環境はほぼすべて変わった。そんな中、変わらない姿を保つ旧九州鉄道尾倉橋梁跡は、訪れる人の郷愁を誘う。

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